2008年10月8日

公共性とアイコン

ニューヨークで見たいくつかの展示や街中のサイン群、先日の麻田浩/近藤恵介展、以前から熱狂しているマターリ・クラセットのインテリア設計、ライアン・マクギネスの絵画&インスタレーション、非常に素晴らしいグルヴィの最新作品集などからの影響で、アイコン化されたイメージの並置が生み出す不思議な感覚について、最近ずっとぼんやりと考えていたのですが、「これって要するに、公共性についての話なのでは?」と、さっき気づきましたー。






こういう空間とか絵画を、表層的なイメージの並置操作というフォルマリスティックな側面から考えていたらたぶんNGで、世界との関わり方みたいな文化的な側面から捉えると面白いんじゃん、というか。

「こんにちは」「ああ、どうも」「今日も暑いですね」

リュック・タイマンスは「習慣とは凡庸なものとして軽んじられたため忘れられてきた知性の形態である」と言っているらしいけれど、それってとても面白い。
やっぱり僕は、建築というのは個と世界との結びつき方、世界とのコミュニケーションの方法を提示し、実践するものだと思うから、公共性と文化とアイコン的記号について、あるいは表層が生み出す公共性について、これから建築的に考えてみようかなとか思います。