明日までにやらなきゃならんことが山積みだっつうのに、酔いどれで〜す、イェ〜ィ!
それもこれも村上龍『ポップアートのある部屋』を読みながら、ロン・カーター『ETUDE』を聴いてしまったせいだ。ポップで表層で低音の夜。良く冷えたビールと丸めのグラス。ラウシェンバーグとジンジャーの香りとニューヨーク土産のチョコレートとセロニアス・モンク。粋だね〜、蒼いね〜。なんてね。
10/25にいよいよ無事オープニングを迎えた水戸。前々日&前日の設営の嵐+自分たちの展示の追い込み作業は死ぬかと思った、ホント。
それにしても、せっかく見に来てくれた福田さん&恵美ちゃん、微妙な対応でゴメン!…完全に頭パッパラパーでボーっとしてました。バリー・ホワイトのミックスCDとか作るから、許してくだされ。
11/8のCar Boot Saleイベントには、山口とか田代とかの妻有友達も参加してくれることになり、結構楽しみになってきた!
ていうか、山口も足立区なんだね。ホント多いな、足立区在住。物価安いからね。カイワレ10円だし。カイワレの卵とじ丼(1食=約30円)最高だし。あー天婦羅食べたい!
さて修論。今日、副査の先生にいろいろと話を聞いていただいたり、ちょっと帰り道に久しぶりに長距離歩いたりして考えた結果、とりあえずは「P-project」は修論では封印します。まずは論文の方をしっかりまとめてから。
でももう1つのプロジェクトは絶対にやりまっせ。目標は11月中に歴史部分を終わらせ、12月中に分析部分を完了し、1月に死ぬ気で2プロジェクト。ひとつは「Pプロ」(こないだ豊田さんがそう略してた)で、もうひとつは公開空地のプロジェクト、かな?
まあ論文の勢いに流され流されになるかもですが、やっぱ僕はそれなりに藤村チルドレンなので、自分の立場が明確になるような論文&実践をしたいと思ったり。でもマッチョでモダンでガチガチなのは嫌だけど。一方で、最近特に一貫性のカケラもない自分にたまに気づいたりもして。歳なのかなあ。熱意熱意!
とはいえ、かなり久方ぶりに破れかぶれなくらい強気だったりもするのも事実なわけで。両義性。頑張りま〜す。
LOVE UNLIMITED ORCHESTRAの指揮者の左手の動きはヒツジコよりも驚異的。あれがミュージックというやつでしょ〜。
2008年10月29日水曜日
2008年10月22日水曜日
FEELING / HEALING
「私の人種独特なメランコリックな音楽は、私たちの身を焼き尽くすような悲しみの中から生まれ、形作られてきたのだ。」
(デューク・エリントン)
マーヴィ・ゲイの、死の前年のライブでの「SEXIAL HEALING」。先日ついに初めて直接体験した「古川日出男」の瞬発力。バリー・ホワイトのバック・オーケストラをもの凄いリズム感で煽りまくる指揮者。「ミュージック」という小説や言葉。そしてエリントン楽団の「クレオール・ラプソディ」。
本気で疲れてくると、人間という動物は、歴史のそこかしこで溢れ出し、忘却されているいろいろな瞬間や可能性に敏感になるようです。
(デューク・エリントン)
マーヴィ・ゲイの、死の前年のライブでの「SEXIAL HEALING」。先日ついに初めて直接体験した「古川日出男」の瞬発力。バリー・ホワイトのバック・オーケストラをもの凄いリズム感で煽りまくる指揮者。「ミュージック」という小説や言葉。そしてエリントン楽団の「クレオール・ラプソディ」。
本気で疲れてくると、人間という動物は、歴史のそこかしこで溢れ出し、忘却されているいろいろな瞬間や可能性に敏感になるようです。
2008年10月21日火曜日
パブリックキッチュ
ワールド・パーキング・コレクション(略してWPC)の作業をしていたら、「Park(ing) Day」なるイベントと「Parkcycle」なる乗り物に遭遇!どちらもサンフランシスコのクリエーター集団が主催。
駐車場をテンポラリーなオープンスペースに変換する、というアイディアは僕らの展開しているP-projectと同じで超親近感&ハッピー。「世界で初の移動型のオープンスペース」を謡う「Parkcycle」はよくつくれたなあ。ひたすら感心。
近々、僕らのポートフォリオを送って、ジョイント企画を打診しようぜ〜とか勝手に盛り上がりました。
何から何までポップでキッチュでアクティブでかっちょいい!!!!こーゆうの見るとめちゃめちゃテンション上がるわー。





駐車場をテンポラリーなオープンスペースに変換する、というアイディアは僕らの展開しているP-projectと同じで超親近感&ハッピー。「世界で初の移動型のオープンスペース」を謡う「Parkcycle」はよくつくれたなあ。ひたすら感心。
近々、僕らのポートフォリオを送って、ジョイント企画を打診しようぜ〜とか勝手に盛り上がりました。
何から何までポップでキッチュでアクティブでかっちょいい!!!!こーゆうの見るとめちゃめちゃテンション上がるわー。





2008年10月20日月曜日
まだ来ない秋
オープニング1週間前。予想以上のパニック的忙しさ。
いろいろとミスあって凹むし、問題も山積みだけど、絶対笑ってオープニングを迎えるぞー!
そんな追いつめられた心理状況をプッシュしてくれるのは、キャノンボール・アダレイの「Mercy, Mercy, Mercy」から「Sticks」へと至る流れの中で異様な盛り上がりを見せる観客たち!!「ファンキー」の本質ここに極まれり!ハーレムのミサを思い出す。Yeah!! Common JOE!!
あとはやっぱバリー・ホワイトの「Can't Get Enough of Your Love Babe」。泣ける。とにかく泣ける。
そんでもって設計欲がクライマックスに達したので、10/26から本気で設計やります。表現したいことが溢れてきたようで。
いろいろとミスあって凹むし、問題も山積みだけど、絶対笑ってオープニングを迎えるぞー!
そんな追いつめられた心理状況をプッシュしてくれるのは、キャノンボール・アダレイの「Mercy, Mercy, Mercy」から「Sticks」へと至る流れの中で異様な盛り上がりを見せる観客たち!!「ファンキー」の本質ここに極まれり!ハーレムのミサを思い出す。Yeah!! Common JOE!!
あとはやっぱバリー・ホワイトの「Can't Get Enough of Your Love Babe」。泣ける。とにかく泣ける。
そんでもって設計欲がクライマックスに達したので、10/26から本気で設計やります。表現したいことが溢れてきたようで。
2008年10月11日土曜日
EVERYTHING/NOTHING
1980年、モントルー・ジャズ・フェスティバルにおけるマーヴィン・ゲイ「Let's Get It On」が破格に素晴らしい。
ソウル・ミュージックの金字塔『What's Going On』をリリースした1970年頃の、音楽的にも精神的にも充実しきったマーヴィンの姿はやはりあまりにも輝かしいものではあり、あの時代の彼の音楽こそが最高のソウル・ミュージックである、という意見に僕は全く異論がない。
でも僕は、離婚にまつわる泥沼に絡めとられ、音楽的に陰りが見え始め、周りのミュージシャンが次々と消えていき、たった独りで打ち込みを駆使したセルフプロデュース作品をつくるしかなくなった、70年代後半以降の彼の歌声に、どうしても心を強く掴まれてしまう。
多くのファンの意見に反する見方なのだろうけど、僕はマーヴィン・ゲイは後期になればなるほど素晴らしいと思う。そこには挫折や失意の影があり、どうしようもない程にやりきれない感情の発露がある。
バリー・ホワイトの「MY EVERYTHING」という名曲があるけれど、マーヴィン・ゲイは周囲から孤立し、孤独の影を一身にまとうようになればなるほど、自らの全てを世界に曝け出し、「誰か」とではなく「世界」と必死にコミュニケートしようとしていたように僕には思える。
73年のライブでのいつになく速いテンポでの「Let's Get It On」もとても良いのだけれど、やはり80年のモントルーでの復活ライブにおけるパフォーマンスは、本当に舌を巻くしかない。
曲の冒頭、全楽器が「ジャーン!」と揃うあの瞬間に、彼は思わず額に拳を叩きつけてしゃがみこむ。
高音のコーラスとゆっくりとしたベースの奏でる独特のリズムに乗せて、彼は今にも泣き出しそうな顔で何度も甘く「BABY」と呟く。終盤、演奏をブレイクさせ、小さな小さな音の集まりに囲まれて、延々と甘く小さな声を発し続ける頃、もはや彼は目の前の誰ともコミュニケートせず、ひたすら世界に向かってダンスしているように見える。
我々にできることは、彼が呟く「OH,BABY」という小さな小さな声の中に、ギッシリと刻み込まれた孤独のリズムを聞き取りながら、そのリズムに乗せて瞬発的なストンプを地面に向かって叩きつけることだけだ。その瞬間を、絶対に逃さないために。
ソウル・ミュージックの金字塔『What's Going On』をリリースした1970年頃の、音楽的にも精神的にも充実しきったマーヴィンの姿はやはりあまりにも輝かしいものではあり、あの時代の彼の音楽こそが最高のソウル・ミュージックである、という意見に僕は全く異論がない。
でも僕は、離婚にまつわる泥沼に絡めとられ、音楽的に陰りが見え始め、周りのミュージシャンが次々と消えていき、たった独りで打ち込みを駆使したセルフプロデュース作品をつくるしかなくなった、70年代後半以降の彼の歌声に、どうしても心を強く掴まれてしまう。
多くのファンの意見に反する見方なのだろうけど、僕はマーヴィン・ゲイは後期になればなるほど素晴らしいと思う。そこには挫折や失意の影があり、どうしようもない程にやりきれない感情の発露がある。
バリー・ホワイトの「MY EVERYTHING」という名曲があるけれど、マーヴィン・ゲイは周囲から孤立し、孤独の影を一身にまとうようになればなるほど、自らの全てを世界に曝け出し、「誰か」とではなく「世界」と必死にコミュニケートしようとしていたように僕には思える。
73年のライブでのいつになく速いテンポでの「Let's Get It On」もとても良いのだけれど、やはり80年のモントルーでの復活ライブにおけるパフォーマンスは、本当に舌を巻くしかない。
曲の冒頭、全楽器が「ジャーン!」と揃うあの瞬間に、彼は思わず額に拳を叩きつけてしゃがみこむ。
高音のコーラスとゆっくりとしたベースの奏でる独特のリズムに乗せて、彼は今にも泣き出しそうな顔で何度も甘く「BABY」と呟く。終盤、演奏をブレイクさせ、小さな小さな音の集まりに囲まれて、延々と甘く小さな声を発し続ける頃、もはや彼は目の前の誰ともコミュニケートせず、ひたすら世界に向かってダンスしているように見える。
我々にできることは、彼が呟く「OH,BABY」という小さな小さな声の中に、ギッシリと刻み込まれた孤独のリズムを聞き取りながら、そのリズムに乗せて瞬発的なストンプを地面に向かって叩きつけることだけだ。その瞬間を、絶対に逃さないために。
2008年10月10日金曜日
ペイブメント再結成!?
うおおおおおおおおおおお!!!!
ペイブメントが来年、再結成するかもしれないらしい!!!!
マジかよ〜、ああああああ。
絶対にマルクマス以外ぶくぶくに太ったりしてて、相変わらず演奏が下手で、完璧に期待を裏切られて、大号泣しちゃうんだろうなあ。
死んでも見たい。神様っ。
ペイブメントが来年、再結成するかもしれないらしい!!!!
マジかよ〜、ああああああ。
絶対にマルクマス以外ぶくぶくに太ったりしてて、相変わらず演奏が下手で、完璧に期待を裏切られて、大号泣しちゃうんだろうなあ。
死んでも見たい。神様っ。
2008年10月9日木曜日
ええじゃないか的空間
僕が中学/高校の歴史の授業で一番好きだった歴史的事象は「ええじゃないか」だった。
…ということをいきなり思い出しました。そう考えるとダダは近代の「ええじゃないか」だし、フリージャズはモダン音楽における「ええじゃないか」だし、ペイブメントなんて存在自体が「ええじゃないか」だし、僕が好きなものって大抵「ええじゃないか」的要素があるものなんだなあ、とか気づいたり。
ええじゃないか、って要するに公共空間における大衆のキッチュ趣味の炸裂なのではないでしょうか?
だって、あの歴史の教科書でよく見た「ええじゃないか」ダンスをする江戸時代のおっさんとか、「ダダ・ソワレ」でのバルの衣装とか、タケノコ族の人達とか、キッチュ以外の何ものでもないでしょ〜。これ、超褒め言葉です。
先日の水戸黄門祭りの時に、最大級に良い感じのヴァイブを醸し出していた団体も、すんげえキッチュな車に乗って登場していたし。
建築とええじゃないかの関係は結構難しくて、建築はええじゃないかを制御するものであるとも言えるし、でもやっぱ建築空間によってええじゃないかが発生したらそれはそれで素晴らしいし、とも思う。でもダダにしろフリージャズにしろ「ええじゃないか」的要素をもった運動って、大抵は何らかの構築されたものを破壊する衝動を内在させているものだから、当たり前のことだけど、どうあがいたって構築物をつくるしかない建築とはすこぶる相性が悪い、と言われている。
ええじゃないか的空気が生まれるのは、道路や広場のような屋外公共空間か、キャバレー・ヴォルテールみたいなアジール的空間のどちらか。でもやっぱ、この2つ(公共空間とアジール)を統合させたような空間をつくるのって、建築家の究極の目標なんじゃないか(目標にすべきことなんじゃないか)とか僕は思います。
原さんが言う「異なるものの同時存在」っていうのは、ええじゃないか的空間ととても親和性が高い概念だと思う。
で、9/27に開催したP-project第2弾では、大げさに言えば、一瞬だけ公共空間とアジールが同時に存在するかのような、ええじゃないか的空間が発露したように思えて、僕は少しだけ感動したのでした〜。写真はそのうちまとめてちゃんとアップしまーす。
…ということをいきなり思い出しました。そう考えるとダダは近代の「ええじゃないか」だし、フリージャズはモダン音楽における「ええじゃないか」だし、ペイブメントなんて存在自体が「ええじゃないか」だし、僕が好きなものって大抵「ええじゃないか」的要素があるものなんだなあ、とか気づいたり。
ええじゃないか、って要するに公共空間における大衆のキッチュ趣味の炸裂なのではないでしょうか?
だって、あの歴史の教科書でよく見た「ええじゃないか」ダンスをする江戸時代のおっさんとか、「ダダ・ソワレ」でのバルの衣装とか、タケノコ族の人達とか、キッチュ以外の何ものでもないでしょ〜。これ、超褒め言葉です。
先日の水戸黄門祭りの時に、最大級に良い感じのヴァイブを醸し出していた団体も、すんげえキッチュな車に乗って登場していたし。
建築とええじゃないかの関係は結構難しくて、建築はええじゃないかを制御するものであるとも言えるし、でもやっぱ建築空間によってええじゃないかが発生したらそれはそれで素晴らしいし、とも思う。でもダダにしろフリージャズにしろ「ええじゃないか」的要素をもった運動って、大抵は何らかの構築されたものを破壊する衝動を内在させているものだから、当たり前のことだけど、どうあがいたって構築物をつくるしかない建築とはすこぶる相性が悪い、と言われている。
ええじゃないか的空気が生まれるのは、道路や広場のような屋外公共空間か、キャバレー・ヴォルテールみたいなアジール的空間のどちらか。でもやっぱ、この2つ(公共空間とアジール)を統合させたような空間をつくるのって、建築家の究極の目標なんじゃないか(目標にすべきことなんじゃないか)とか僕は思います。
原さんが言う「異なるものの同時存在」っていうのは、ええじゃないか的空間ととても親和性が高い概念だと思う。
で、9/27に開催したP-project第2弾では、大げさに言えば、一瞬だけ公共空間とアジールが同時に存在するかのような、ええじゃないか的空間が発露したように思えて、僕は少しだけ感動したのでした〜。写真はそのうちまとめてちゃんとアップしまーす。
2008年10月8日水曜日
公共性とアイコン
ニューヨークで見たいくつかの展示や街中のサイン群、先日の麻田浩/近藤恵介展、以前から熱狂しているマターリ・クラセットのインテリア設計、ライアン・マクギネスの絵画&インスタレーション、非常に素晴らしいグルヴィの最新作品集などからの影響で、アイコン化されたイメージの並置が生み出す不思議な感覚について、最近ずっとぼんやりと考えていたのですが、「これって要するに、公共性についての話なのでは?」と、さっき気づきましたー。




こういう空間とか絵画を、表層的なイメージの並置操作というフォルマリスティックな側面から考えていたらたぶんNGで、世界との関わり方みたいな文化的な側面から捉えると面白いんじゃん、というか。
「こんにちは」「ああ、どうも」「今日も暑いですね」
リュック・タイマンスは「習慣とは凡庸なものとして軽んじられたため忘れられてきた知性の形態である」と言っているらしいけれど、それってとても面白い。
やっぱり僕は、建築というのは個と世界との結びつき方、世界とのコミュニケーションの方法を提示し、実践するものだと思うから、公共性と文化とアイコン的記号について、あるいは表層が生み出す公共性について、これから建築的に考えてみようかなとか思います。




こういう空間とか絵画を、表層的なイメージの並置操作というフォルマリスティックな側面から考えていたらたぶんNGで、世界との関わり方みたいな文化的な側面から捉えると面白いんじゃん、というか。
「こんにちは」「ああ、どうも」「今日も暑いですね」
リュック・タイマンスは「習慣とは凡庸なものとして軽んじられたため忘れられてきた知性の形態である」と言っているらしいけれど、それってとても面白い。
やっぱり僕は、建築というのは個と世界との結びつき方、世界とのコミュニケーションの方法を提示し、実践するものだと思うから、公共性と文化とアイコン的記号について、あるいは表層が生み出す公共性について、これから建築的に考えてみようかなとか思います。
2008年10月1日水曜日
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