2009年4月12日日曜日

絶え間ない哄笑が始まる場所

白線を跨ぐ前に、2006年の地点に戻る。

日付は1916年6月12日。
ファーストネームはフーゴ。
媒体は日記。その全文。

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「われわれがダダと呼んでいるのは、虚無から生まれる阿呆な仕種、例えば古代剣士の所作とか、みすぼらしい残骸物の戯れとか、見せかけの道徳心や充足感とかの処刑だ。

その虚無の中には高い次元の問題が全てもつれこんでいる。

ダダイストは、異常なことを好むが、それのみならず不条理なことさえ好む。

ダダイストは矛盾の中でこそ生命が自己を主張すること、またいまの時代が前代未聞の様相で高貴な者の絶滅に向かっていることを知っている。

だからあらゆる種類の仮面を歓迎するのだ。

だましの力を備えたどんな潜伏術も歓迎だ。

とてつもない不自然の真っただ中で、直接的原初的なものが、普通では信じられないような姿をとってダダイストに現れてくる。

もろもろのイデーの破産によって、人間像はその内奥の層に至るまで剥がれ落ちてしまったので、さまざまな本能や、背後に隠れていた連関が、表面に現れてくるのだ。

いかなる種類の芸術も、政治も、告白も、この堤防決壊には対処できないように思われるので、ただ駄ぼらと血に飢えたポーズだけがあとに残るのだ。

ダダイストは個人の機智よりも、むしろ出来事の正直さを信頼する。

個人は、自分自身をも含めてダダイストには是認できないのだ。

ダダイストは、もはや1つの点から物事をとらえるようなやり方を信じない。

しかしながら、自分は自己解体に至るまで不協和音に悩みながら、なお依然としてあらゆる存在の結束を、その共同責任を確信している。

ダダイストは、時代の断末魔と死の酩酊に対して宣戦布告する。

賢明で控えめな全ての態度に反発する。

ダダイストは、体制の世界が崩壊し、いまや現金払いを迫るこの時代が無神論哲学の投げ売りを始めたことを知っている。

屋台商人にとって恐怖とやましさが始まる場所で、ダダイストにとっては明るい哄笑と心和む慰めが始まるのだ。」