2009年5月23日土曜日

マルクマスペース

マルクマスが住宅を設計したらどんなものができるんだろう?

とかいうことをよく考えていたものですが、「マルクマス的な空間」じゃなくて「マルクマス的な生活をおくることの出来る器」をつくることの方が、よっぽど重要なんだと思ってきました。

空間自体がユーモラスで嘘っぱちなんじゃなくて、その空間の中でユーモラスな行為とかフォーマの合唱とかボコノン教の式典とかが行われるような建築。
きっと、それがマルクマスペースなのだ。

だから、ユーモアやフォーマを建築の構成自体に盛り込む必要は全くない。
むしろ、マルクマスペースには、型にハマりまくったライフスタイルを推奨する要素が押し込められている方がいい。
凡庸さは、マルクマスペースに通じている。

フーゴ・バルは言う。
「いかにして永遠の至福は得られるでしょうか。ダダ、と口にすることで。
いかにして名声は得られるでしょうか。ダダ、と口にすることで。
大切なのは観念連合です。シェルツェさんの言葉は2.5センチしかありません。」

確かに住宅は生活を保護(カバー)するものだけれども、僕たちの生活なんてものは、ものすごくみっともなくて、無意味だ。
だとしたら、それをカバーするんじゃなくて、そのみっともなさ、情けなさ、汚さ、ダメさを積極的に街に開いていくような空間というものがあっても良いんじゃないか。

みっともなさの発露。だらしなさの露出。

あるボコノン教徒は言う。
「人間は下等な生き物だ。作るに足るようなものは何も作っておらず、知るに足るようなものは何も知っちゃいない。
クズだ!何もかもと同じように。」

「ボコノン教徒には何が神聖なんですかね?」
「神すら神聖じゃないな。」
「すると何も?」
「1つある。」
「海かな?太陽かな?」
「人間さ。それだけだ。人間なんだ。」

おお、なんとボコノン教的な会話だろう。。
全人類の師、ボコノンよ。我々に虹のような幻想と天使のような笑顔を与えたまえ。
我々の毎日を、ナンセンスなものとして認識する力を授けたまえ。
ファタ・モーガナ!!
マルクマス・モーガナ!!
ダダ・ボコノン、ダダ・トラウト、ダダ・マルクマス・ガッデム!